003
アリーは荷物をナンデモ屋の居間に置き、促されるままに外へ出た。
貴重品だけは肌身離さず持つようにと言われていたので貯金関係はショルダーバッグに纏めて入れたが、それ以外に貴重品と呼べるようなものを彼女は持っていない。元々金以外に持って出たのは洋服類と非常食だけだ。
トトは彼女の身なりを見て一瞬不安を覚えたが、目を離さなければ大丈夫だろうと結論付けて建物の前へ出る。
戸締りはしっかりしたし、鍵もちゃんとかけた。できる限りの防犯はしてあるのだから、これで泥棒やらなんやらに入られたとしたら仕方がないとしか言いようがない。相手の腕が良かっただけの話だ。それも、アウトローシティという街の外と違う所だった。
そんな場所に現れたアリーという少女は、やはりまだ馴染めていない異質な存在だ。
長旅ゆえか少々汚れて埃っぽいが、アウトローシティではまず手に入らないような上等な布の衣服と靴を見て、もしかすると目立ってしまうかもしれないとレオは思った。
勿論、悪い方に。
目に僅かな不安と隠し切れない好奇心を抱き、キョロキョロと辺りを見渡すその様子はどこをどう見ても他所者にしか見えない。
歩き方一つにしたってそうだ。ゆったりとした、可愛らしく少女らしい歩き方。そんな動きをする者はこの街にはそういない。
「アリー」
トトが籠った声で呼ぶと、アリーは一瞬身を固くしてから彼の方へ駆け寄った。不思議そうに「何ですか?」と問う彼女の目には疑いというものが欠落しているように思え、トトはまた人には気付いてもらえないため息をつく。
「あっちが市場なのはわかるよね」
彼はそう言って、ナンデモ屋を出て左側を指差した。アリーは咄嗟にここまで来た道のりを思い出し、「はい」と答える。
アウトローシティは正三角形の土地の中で市場を中心に構成されている。市場から延びる三本の大通りのうち、ナンデモ屋はイーストストリートの真ん中辺りに位置していた。
大通りから二本だけ裏側の路地へ入った所だ。人通りは多くないが少なくもない。そして大通りほど煩くもない。決して安全とは言えないが、街の中では安全な方だということをトトとレオはよく知っていた。
「この街は、市場から離れるほど治安が悪くなる。大通りの三つのうち、門に繋がってるサウスストリート以外の奥の方が特に危ない。イーストストリートはその目安がナンデモ屋。この店があるのより奥には行かないようにね」
トトの言葉にアリーは背筋を伸ばし「はい」と神妙に頷く。
恐ろしかったのだ。
トトがこんなにも静かな声で淡々と、けれど真剣に話すほどの危険とはどんなものなのか、彼女には想像もつかないし考えたくもないとすら思う。
その危険にもし自分が足を踏み入れてしまったらと思うと、まだそんな状況になってもいないのに冷や汗が出た。
ゴクリ、と唾を飲み下す彼女の背をカイがポンと軽く叩く。それに肩を跳ねさせると、アリーは彼の顔を振り返った。
「入らなければ大丈夫ですぞ」
「ここに来て三年、私もあっちへは行ったことはないが、行ったことがないから生きてますからな!」と楽観的とも取れる彼の意見にアリーは目をぱちくりとさせ、それからぎこちなく笑った。今度はカイがその笑顔に目を瞬かせ、ニッと笑って見せる。
「ナンデモ屋に来て初めて笑いましたな! その調子ですぞ!」
そんな元気な声に、アリーは自分がこの街の門をくぐってから初めて笑ったのだということに気付く。例えぎこちないものだとしても、それは彼女が彼等に僅かにでも心を許した瞬間だったのだろう。
彼女はなんとなく、気持ちがスッとしたような気がして視線を上へ上げた。それだけで前向きになれた気がした。
外ほど空気は綺麗じゃないが、それでも空は淡く青い。全然知らない土地に来たけれど、変わらないものもあるのだな、とアリーは思った。それだけで心に余裕ができた気がするのだ。
「じゃあ行くか」
レオの声にハッとして、アリーはカイの顔を見た。カイはニッと笑い、僅かに進んでいたトトとレオの元へと彼女を促す。その後ろで、イリグチが柔らかな笑みを浮かべて見守っていた。
確かに自分は知らない街に来たけれど、知らないことはきっと彼等が教えてくれるだろう。そう、彼女は思った。
彼等は自分とは明らかに違う存在だと、彼女は感じている。空気の違いを幼い少女はある種敏感に受け止めていた。
けれど、それは違うというだけだ。きっと彼女はその異質さにいずれ慣れて順応していくに違いない。なんせ、彼女はまだ若いのだから。イリグチはそんなことを思いながら四人の後を追いかけた。
「どこへ行くんですか?」
「まあ、アウトローシティを案内するんだったらまず市場だな」
レオの言葉にアリーは首を傾げた。来る時に一度通ったのに、わざわざ案内をするのだろうか? そう思い、それを問いかけようとしたところでイリグチが口を開く。
「まあ、来る時は時間が早かったしねー。ほとんど閉まってて残念だったよ。本当は一番に市場を見せてあげたかったんだけど」
「あーまあ早かったしなあ」
カラカラと笑うイリグチにレオが返す。先頭を歩いているトトは、「まあ、初めのうちに市場の熱気に慣れといた方が後々便利なのは確かだね」と言いながら歩みを進めていた。
アリーは彼等の会話を聞きながら納得し、ぼーっと、トトは身長の割に歩幅が広いなどと考える。
ナンデモ屋から市場に近づくにつれ、レンガで舗装されていた道がどんどん砂道になっていく。なんとなく埃っぽいのは道がそれだからのようだった。
(市場も舗装しちゃえばいいのに……)
なんでこんなに中途半端なんだろうと思いながら、アリーは前を行く三人の背を見失わないように歩いた。
カイは彼女に合わせているのか、それとも元々が遅いのか彼女の横に並んでいるが、前の三人はそういうことは考えないらしい。次第に彼女の息が乱れてきたのにカイが気付き、「御三方!」と呼び止めた。
「女の子には少々早いですぞ!」
「……そうなの?」
「ごめんね」と言って立ち止りトトが謝るのに「い、いいえ! 私が遅いんです!」と焦りながら彼女は彼等の方へ駆け寄った。その様子を見て、今度は先ほどよりもゆっくりと歩き出す三人はぎこちなくも合わせようと努力をしているらしい。
「レオ、女の相手得意でしょ。なんでそういうとこ気付かないの」
「馬鹿言え、俺は女好きでも幼女趣味じゃねえ」
「それにしてもカイに注意されるなんてねぇ」
「イリグチ殿! それはいささか私に失礼ですぞ!」
こうして仲間達で会話をしているだけなら普通に見えるのにな、と何が違うからこんなにも空気に差が出るのかと、アリーは市場に着くまで幼い頭を悩ませた。